口から元気にモヘンジョダロ

ナラティヴ・アプローチと銘打った自分語り

風に乗り切れていないカモメ見つめ泣いていた私を6時間後くらいに振り返ってみた

 

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動画を貼ったらフォロワーに「不安になってくる」とdisられた



連休最終日に海に行きました。

 

Gotoキャンペーンが盛り上がる中、わざわざこんなときに出かけなくても、と思います。他ならぬ私が到着した瞬間そう思ったので……でもぉあたし祝日って概念がなくてえ……来てびっくりしたってゆうかあ……

仕方ないので人のいないところを探して歩き回ったらそこそこ疲れました。家族連れとカップルしかいないの、何なの?

護岸に座りこみながら、台風の近づく波を眺めていました。むしょうに悲しくなってきて、ちょっと泣きながらスマホを開いて、ひたすらに現況を書いていました。 2時間くらいスマホに書いて、すっきりして、またあたりを散歩して焼き鳥を買って帰りました。

帰ってきてメモを読み返したら、まあきれいに泣き言で面白かったので、見出し以外はそのまま投稿することにしました。なんせここ、えせナラティブアプローチのブログなので。

 

泣き言①仕事がしんどい

仕事を休むことになりました。帰ってこれるかはわかりません。

またか、という思い出はあります。

8月最終週からあまり気分が良くなく、ツイッターを見ながらもありとあらゆることにイライラしていました。何気ないゲームの周回にもキレていたので兆候はあったように思います。

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スナイルおまえが手に持ってるものは何なんだよと理不尽にキレた瞬間

 

仕事も毎日無気力だったし、気力があるときは些細なことでイライラしていました。

恥ずかしながら20代後半で初めての入職だったので偉そうなことは言えませんが、たぶん昔ながらの中小企業の嫌なところが存分に出ているところです。

 

パワハラババアがいる。「コロナがそこのドラッグストアで出た。空気感染するから1ヶ月は行かないように」というおふれが朝礼で共有される。消費者庁から行政指導が入ったはずのウィルスを吸い込んでくれるキットが未だに配布される。パワハラババアがいる。健康診断の結果は勝手に開封されてコピーを渡される。パワハラババアがいる。パワハラババアがいる。

息がつまるすてきな職場です。

 

その中でも資格持ちとしてやりたいことはあったので、そこそこ目を瞑りながら1年ほど生き延びてきました。

でも疲れた。

「なんか行きたくない」と思ったら、止められなかった。会社に出勤しても抑えられず、泣きながら帰ってから行けていません。

しんどいその1。

 

泣き言②そもそも自分の人格がしんどい

もともと「ふつうの働き方」ができない性分でした。

ふつうにタスクをこなしていると思っているのに、だんだんいろいろなことにイライラしだして、悲観的になって、ある日突然「もう無理」「行きたくない」と布団から出られなくなる。

初めて「もう無理」と学校に行かなくなったのは中学生のとき。そこからどのライフステージでも一度は自分から始めたタスクを投げ出してきました。

ADHDの診断が降りたのは20歳のときです。ホッとしたのは確かですが、私は未だにこの「なんか行きたくない」病と向き合うことから逃げ続けています。

学生時代やバイト時代は、投げ出してしまってもなんとかなってきました。引き上げてくれる人がいましたし、もしくは責任がないからやめられました。我ながらとても恵まれていた環境にあったと思います。

でも、正規雇用してもらった今、それはなかなかできません。

しんどいその2。

 

泣き言③周りにも申し訳なくてしんどい

さらに申し訳ないのが、この「なんか行きたくない」状態を、いわゆるうつ病だね、と解釈されることかもしれない。

幸いにして会社の上司は休むことを快諾してくれて、「自分も前の会社で働きすぎてうつになったから」と経験談を付け加えてくれました。

友人にも会社の激務で体や心の調子を壊してしまった人はそこそこいますし、彼女彼らがその病気と付き合いながらゆっくり寛解してほしいと思います。

 

でも、私はちがう。たぶん私は、「頑張れば」乗り越えられる。

この「なんか行きたくない」はきっと特別なことではなく、万人が抱えているものであり、万人がそれぞれの能力を持って乗り越えているものなのだと思います。

私も、この「なんか行きたくない」という気持ちを殺せば何だかんだ楽しいんだろうし、上記のクソな環境を共有しながら生きられる。

でも疲れてしまう。イライラしてしまう。キャパシティ以上のことをしてしまう。結果、「なんか行きたくない」に負けてしまう。わがままと言ってもいいかもしれない。

しんどいその3。

 

  • 泣き言④かといってアドバイスを聞けるわけでもなくてしんどい

こういうときに厄介なのは「なんか行きたくない」病に負けて逃げているときって、アドバイスを求めているようでアドバイスされたらされたで「でもなんかしたくない……」にシフトしてしまうところです。しばらく逃げてにっちもさっちもいかなくなったらアドバイスを求め始めるけどそのときにはアドバイスしてくれる人は愛想を尽かしている。

地獄。しんどい④。

 

泣き言総括 もうとにかくしんどい

台風も近づく海を眺めていたら、「なんか行きたくない」病の私、そして、もしかしたら世界のどこかにいる「なんか行きたくない」病の人たちに向けて言葉を発したくなりました。「しんどいね」のただ一言です。

 しばらくは泣きながら海を眺めていようと思います。何とかなるといいなあ。

 

 

 

 

感想 それはもう仕方なくね?

 ……焼き鳥食べてお風呂入ってカルピス飲みながら読み返すと「認知ゆがんでるなあ」としみじみ思えるので不思議ですね。

認知、ゆがんでるな~! と後からでも思うようになっているのは私の場合は20代後半のときに認知行動療法の先生に教えてもらっているおかげなので、「こういうときはもう専門家に任せるしかないよ」というのが6時間前の私に向けたエールです。

ただし、「なんか行きたくない」に至るまでには少なからず理由があって、それは私本来の性分や変えられない環境によるものもあると思いますが、少しずつでも解体していければいいなと読みながら思いました。まあ結局、ゆっくりでも頑張っていくしかないですね。

 

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こういう楽しい写真とる余裕はあるから大丈夫でしょ

 

以上、ハイテンションとローテンションの差が激しいナラティブでした。1日後の私が読み返して笑ってくれるといいな。

2019年このKPOPが救ってくれました

2019年、久しぶりにブログを書こうと思いました。ブログというか備忘録ですけども。
私にとっての2019年、環境の変化もすごかったし、自分の言語化できなかったモヤモヤイライラ病と初めて自分で向き合った年としてとってもエポックメイキングでした。その年に私が何に救われたか、これからも他人との約束を忘れ、ありとあらゆる重要書類やものをなくし、ある日突然やる気を失うであろう未来の私のための備忘録です。
まあ


一息で言ってこれですけども

というわけで去年辺りからK-POPアイドルに救われ続けている日々です。毎日救われるアイドルが変わります。
まあせめて一ヶ月ごとぐらいに曲を振り返ってみようね。

 

1月

Sunrise / GFRIEND│原点


[MV] GFRIEND(여자친구) _ Sunrise(해야)

 

先述の通り、K-POP自体には昨年からふれていました。フォロワーがちょうどBTSを聞き始めていることもあって、「よっしゃフォロワーのすなる防弾少年団なるものを我も聞いてみんとす」とYoutubeを開いたのです。
次にYouTubeを閉じたとき、私はヨジャチングに落ちていました。

お前は何を言っているんだ(画像略)

そのフォロワーから「何で斜め右方向にはまってるの?」と冷静に言われたのはいい思い出です。私も説明できない。
そのときに繰り返し聞いていたのがTime for the moon night(夜)だったのですが、


[MV] GFRIEND(여자친구) _ Time for the moon night(밤)


なんというか、このころのヨチンちゃんのコンセプト……最高なんだよな……。ゼロ年代をリアちゃんとして携帯サイト全盛期をかけぬけたオタクのみなさんにわかってほしい。このコンセプト、キラキラしたなかの特大明朝フォントタイトルみたいな切なさなんですよね……。一息で言ってしまえば、深夜に放送される魔法少女アニメOPみたいな危うさをもった可愛さ。もちろん清純アイドルとしてのヨジャチングも、夏のヨジャチングも好きなんですけど、私にとっての“親”はこのパムのヨチンちゃんです。

 

そのヨチンが2019年1月、夜のコンセプトの続きとして引っさげてきたのがSunriseでした。
泣いた。
ゼロ年代離別厨携帯ポエムサイト管理人の魂が救われた気がした。
夜明けでありながら出会わない太陽も、物憂げなメンバーの表情も、どことなく不穏な雰囲気を残して終わるメロディも、今聞いても魂が浄化されていく気しかしない。
個人的に「初めてカムバの告知というものを認知した」のもこのSunriseだったので、Teaserが追加されていく初めての楽しみを味わせてくれたのもSunriseということになります。


最初にユジュちゃん(メインボーカル)のサビを聞いたとき美しい涙こぼれちゃったもんな世界平和ですよ
ゼロ年代オタクあるある:最初のくだりが長ったらしい上に大げさ

 


2月

虚無

 

一転虚無月間だったのでちょっと記憶にないです。誰も責めないし誰も気にしないソシャゲばっかりやっていました。ソシャゲも人を救うよ。


3月

Pinky Star / GWSN│アイドルって可愛いんだよな(気づき)


[MV] GWSN(공원소녀) _ Pinky Star (RUN)

 

私よりちょっと先にKPOPを聞き始めていた友人から公園少女ちゃんを教えてもらって最初に聞いた曲。か、かわええ……。可愛さに打ちひしがれるってこういうことを言うんだなという感じ。
公園少女ちゃんもデビューしてから第三集までのコンセプトがちょっと不思議で好き。それでいてガチイケメンのミヤちゃん、ミステリアス美女だけど笑顔が可愛いソソちゃんがいるところ、この二人の国際色がいい具合にサラダボウルで好きです。


ただ私はミンジュちゃんの顔が狂おしいくらい好き。

 

 

4月

Violeta / IZ*ONE|ところでM-netは今何してんの?


IZ*ONE (아이즈원) - 비올레타 (Violeta) MV

 

3月の公園少女を教えてもらった友人がいっとう最初に教えてくれたのがアイズワンでした。Violetaもピコピコ音がかわいい。ウンビ姉さんの強さとちょっとすっとぼけたところが好き。
ところでM-netは今何してんの?

 


5月〜6月

虚無(リプライズ)

 

5月にちょうど生まれてはじめて就職して、したはいいものの初っ端からパワハラ未遂を受けていたのでちょっと記憶にないです(リプライズ)。強いて言うなら毎日鬼束ちひろの月光を聞いて泣きながらポテチと唐揚げ棒を食べていました。


鬼束ちひろ - 月光
鬼束ちひろと揚げ物はストレスに効く

 

私に対するパワハラはある日突然終わりましたが、その代わり一緒に働いているパートさんに向かった上に結局そのパートさんは辞めました。アイムクソ無能。この腐敗した職場に就職した……

 


7月

All Night / ASTRO|その日、世界が一変する


ASTRO 아스트로 - All Night(전화해) M/V

 

きっと生まれてはじめての逃げようのないパワハラ未遂を受けたことによって私のちっぽけな脳は限界に達したのでしょう。
令和元年、とうとう救われることになりました。


K-POP男性アイドルといえばBTSしか知らず、しかもどちらかといえば彼らが作ったBT21のほうが好きで、ナムジュンさんとRMさんは当初別人だと思っており、Dance Practiceではジンさんとジョングクさんの違いが「どっちも顔が抜群にいい」と分からず(今思い返すとこの違いが分からなかったのめちゃめちゃ面白い)の私を救ったAll Night。

 

きっかけはこの曲でした。


BTS (방탄소년단) 'All Night' (feat. Juice WRLD) Official MV


いやこの曲も名曲なんですけど。今聞いてもこのAll Nightしか勝たんが?となりますけど。


まあ端的に言うと
①フォロワーに勧められてBTS WORLDというアプリをインストールする
②(トンチキ主人公に振り回されるなか)アプリ内でかかる一曲がめちゃめちゃカッコイイと騒ぐ
③フォロワーにAll Nightということを教えてもらう
Youtubeでたくさん聞く
⑤憂慮したYoutube、「これも聞いたらどう…?」と(ここまで被害妄想)、おすすめ欄にASTROのAll Nightを出してきたので何の気なしに聞く

救われる

end.


なんですが。あれです。やっぱり同名曲はこういう奇跡の出会いを生むのでどんどんやってほしいしYoutubeサブスクリプションサービスはどんどん私の情報を勝手に分析してほしいです(リテラシーの低下を表す文章)

何でこんな転げ落ちるようにASTROを好きになったか、私もあんまり言語化できない気はします。でもあのときAll Nightを聞いて、おすすめ動画に出てくる他の曲を聞いているあのとき。爽やかに画面の中で歌い踊る彼らは、私にとっての救世主でした。


8月

HIT / SEVENTEEN│その日、運命と出会う。


[M/V] SEVENTEEN(세븐틴) - HIT

 

その次の月に13人のアイドルグループにハマるとは思わんじゃん。私も思う。
BTS WORLDを勧めてくれたすべての原点のフォロワーに日本コンサートのブルーレイを見せてもらったのがいけない(よかった)と思うんですよね。やっぱり動いていきいきと歌って踊るアイドルは最高じゃん。
そのあとついうっかり活動期間だったのも原因ですよね。前月のASTROは1月カムバ曲だったので新たな供給はなかったのもあったので。SNS開けるたびに何かしらの動画や写真がバンバン上がる世界。最高。


[COVER] 승관 - Love poem (원곡 : 아이유)
ちなみにセブンティーンはスングァンくんを見ていると幸せの形とはそこにあるのだといつも思います。クリスマスイブに熱を出して体調不良になった私はこれを聞いて一人暮らしの部屋でほろほろ泣きました。


9月

Tag Tag Tag / Verivery│このMVを超える怖さはない(断言)


VERIVERY - Tag Tag Tag MV

 

フォロワーの率直な感想
①「なんで知らない若いアイドルにハマってるの?」
MVが怖い
③めちゃ怖い怖い怖いなんてものを貼ったの

私もそう思う。でも曲めっちゃいいんですよね。ニュージャックスウィングの何を知っているわけでもない私でも「ええやん!」ってなる。
VERIVERYは実はこのあとASTROとあわせて初めてファンイベントに参加しちゃうくらいに「ハァ〜曲もええ! 動画もええ! メンバーのわちゃわちゃ感もええ! 勢いがええ!」のハッピー増し増し定食です。この勢いを様々な形で見せてくれる彼らが今年デビューと聞いてひっくり返りました。勢いあるなそりゃ
でもMVは怖い。考察してる人たちすごいと思うよ。私にしちゃただただめちゃめちゃ怖いもん。

 

なお最近のフォロワーの感想
「マンネが2003lineとか犯罪じゃん」
否定できない。

 

10月

Why / ONF│またMVがちょっとよくわからない


온앤오프 (ONF) - Why (MV)

 

実は2019年いちばんよかったアルバムを挙げろと言われるとこのオネノプの曲が入ってるアルバムなんですよね。


온앤오프 (ONF) 4th Mini Album [GO LIVE] Highlight Medley


ハイライトメドレーとして聞いても多様。純粋にひとつひとつも好きだし、通して聞くとひとつの作品として充実しちゃう。休日の早朝に聞くと元気が出る(ただし私の場合休日の朝というのは寝ているものなのでなかなか叶わない)
オネノプは「曲」も好きですが、「アルバム」として聞きたいグループかもしれません。まだなかなか他のアルバムも聞けていないので楽しみです。
ただ、やはり。「あと1年早く聞いてればよかったな」とオネノプの曲を聴くたびに思います。
オネノプ以外にたくさんのアイドルを聞いていて「日替わり定食か何か?」とフォロワーに聞かれていたこの月、「アイドルは脱退するかもしれない存在である」ということを思い知らされたのもあって思い出深い月です。11月につづく。


11月

Follow / MONSTA X│華麗チャンチャカお耽美


MONSTA X 몬스타엑스 'FOLLOW' MV

 

まあこれ知ったの10月27日なんですけどたくさん聞いてたのはやっぱり11月なので11月のイメージが強い。フォロロロロロロロ!フォロロロロロロロ!チャンチャカリズムが好きなので聞くたび元気になれます。MONSTA Xはキヒョンさんの突き抜ける声が好きだし純粋にうまくて聞くたびにびっくりするし好きになっちゃう。


あとひたすら…ひたすらミニョクさんのお顔が…好き…

 

まあ10月31日に「せめて1ヶ月早く聞いてればよかったな」と先ほどの1か月前より切実なことを思うとは思わなかったんだけどな。

 

このことについては後ほど。

 

ところで


ASTRO 아스트로 - Blue Flame M/V


11月中旬にカムバしてくれたASTROのBlue FlameのMJさん、何度見ても何度聞いても美女と野獣の美女説浮かぶところないですか?私の中では通説となっているんですが・・・
ASTROの今回のアルバムもMONSTA Xの今回のアルバムも好きな曲ばっかで困っちゃう!

 

 

12月

12月も何だかんだいろいろあったんですが(ベリベリのイベントでライブか?ってくらいパフォーマンスしてくれて「これが…まるごと好きってこと…」となったり、
モネクの曲しか勝たんのでは?とオンシミを聞いたり、
改めてMAMA名古屋パフォーマンスを見てBTSの圧倒的存在感に打たれたり)
今これを書いているときに何を聞こうかな、と思って選んだのがやっぱりこれだったので。


[MV] GFRIEND - Fallin' Light (天使の梯子)


ヨジャチングの日本オリジナル曲のコンセプト、私が好きになったコンセプト寄りの気がするので耳に馴染みやすいのかもしれない。やっぱり魔法少女アニメしか勝たん!(結論)

 

 

 

以下お気持ち長文です。

 

結局私は彼ら/彼女に救われてからどうなったのか

救われたと思った7月からの3ヶ月後のことです。
あっ私ずっと救われてたいんだなと薄々気づき始めました。
「もういないだれか」の残像を感じてしまうファンの思いを想像しそうになるオネノプの曲巡りもなかなかしんどかったですけども。
MONSTA Xの騒動をめぐるあれこれで、「今まさにいなくなってしまったばかりの彼」の存在が、私ですら痛々しいほど残って見えてしまうステージに「あっこういう気持ち…」と少しだけ絶望したのは忘れません。さみしい。ほんとにさみしい。好きになってから3日の時点でえぐられた私もまだ痛みが残っているので況やファンの方の気持ちをや、という感じですが。

 

ちょうど11月にASTROのファンパーティがあって、7月の気が狂った私がうっかり一般で申し込んだものが当たったので不安ながらも楽しみだったり、その直後のカムバも決まってドキドキワクワクしてたら


こんなことが起きて、(そしていつ帰ってくるかもわからず)(2月のファンパーティーは不参加でリリイベ握手はあって〜!? ファンはどうなっちゃうの〜!?!?)いろいろと考えさせられました。
11月に悩みながらも見たファンパーティ自体はとっても楽しかったんです。楽しかったんですが、「6人」だったところにある「5人」、ひとり空いた穴って思った以上にインパクトって大きくて泣きそうになる。

 

アイドルを消費させてもらっている立場として、大前提とするものに「良き消費者であれ」を掲げるはもちろんのことです。しかし、それでも出発点として彼らの存在に「救われた」という私がいる以上、「私を救ってくれ」という理不尽な思いは消えない。
とくに11月からアイドルの体調不良が次々に発表され、GetWellSoonタグが飛び交うようになりました。アイドルの健康を願い、休養してくれと願うファンを見ながら「でも、おそらく最初に『彼が見られなくて死ぬほどショック』と思う私がいるのを否定はできないな」と暗い気持ちでした。いや〜〜〜〜どうしようもなく理不尽だな〜〜〜〜。
上半期に虚無を抱えて救われたと思っていたら彼らにもまた虚無があったかもしれないことに恐れおののく下半期でした。とんだ宗教に足を突っ込んでしまったものである。

 

でも曲を聞くたびに救われることは確かだし、今のところはぎりぎり踏みとどまりながら良き消費者であるラインを探していこうと思う次第です。

 

 


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この2019年11月22日の私のツイート後ろ2つ、2020年に叶ってくれてもいいんだよ芸能界〜〜〜!!!!!!(一番最初のくだり、スングァンくんがコンサートで言ってるのをライビュの会場で聞いてひとりで泣いちゃった)

Harry and I

 こんにちは。彼氏と読書をする方のホモ・サピエンス、依田です。すみません、開始一行目からのうそに耐えられなくなりました。読書をする彼氏がいるホモ。サピエンスどころか、彼氏すらいないホモ・サピエンスです。でも読書は好きな方のホモ・サピエンスではあると思います。今日はそんなホモ・サピエンス的観点から、自分を構成してきた本のひとつについて思う存分ナラティヴ・アプローチと銘打ったただの自分語りをしていこうと思います。
 申し遅れました。自分語りが大好きな方のホモ・サピエンス、依田と申します。どうぞよしなに。

 

 「子どものころ、本が好きでした」というひとは、だいたい「私はこの物語とともに育ってきた」という物語がひとつはあるイメージです。
 「ナルニア国物語」「赤毛のアン」「エルマーのぼうけん」「クレヨン王国物語」、さまざまなものがありますね。そしてもし私が、「この物語とともに育ってきた」と言える本をひとつ選べと言わるのであれば、ためらうことなくハリー・ポッターシリーズを挙げます。今回はそんな自分語りです。

 

 とにかく読みあさった時期・認めたくない時期・もう一度読み直してなぜだか泣いた時期、すべてひっくるめて、間違いなく私はハリポタ世代です。ハリー・ポッターとともに育ってきた女です。読み始めたときは年上だったはずのハリーの年を抜かして、ずいぶん経ってしまいましたが。

 きっかけは、当時通っていた学童の先生でした。「よたこちゃん、絶対好きだと思うから読んでみて」。この言葉とともに『ハリー・ポッターと賢者の石』をすすめてくれたのは横林先生という先生で、私たち学童の子どもはこぞって彼女のことを横ばあ横ばあと呼んでいました。書いていて気がつきましたが、横ばあは当時今の私と同じくらいの年齢のはずです。よく殴らなかったな横ばあ。私だったら大嫌いになるぞ、そんなクソガキ。かくして、そんなクソガキを殴らなかったそんな菩薩のごとく優しい横ばあのすすめのもと、私は読み始めたのでした。

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

ハリー・ポッターと賢者の石 (1)

 

  しかし最初は投げ出しました。依田・クソガキ・よたこ、小学三年生です。小学三年生のクソガキだった私にとって、バーノンおじさんとペチュニアおばさん、悪ガキのダドリーにいじめられるハリーの日常がおそろしくつまらないものでした。ダーズリーとダドリーの区別もつかなかったし。三年生になってからクラスが一緒になったマリちゃんにいじめられてる自分を同時に想起して嫌だったのもあるかもしれません。マリちゃんについては後日たっぷり恨みを込めて書こうと思います。

 そうやって投げ出した私のあとを継いだのは母でした。一週間で読み切った母は、何を思ったか私にあの黒い本を差し出したのでした。いぶかしむ私に対して彼女が一言言ったのは、「絶対好きだと思うよ」。母も、横ばあも、単純な私のことを見抜いていたのです。そして確信していたのです。私が絶対好きになる要素があることを。
 最初の私が読んだのは第三章まで、ためらうことなくネタバレをするとハリーに不審な手紙が来はじめたあたりです。渋々読み直した私をビンタするのは第四章です。
 そうです。第四章です。
 ヒュウヒュウ風が吹き込む海の上の小屋で、ハグリッドがコートから銅のヤカン、ひしゃげたソーセージ一袋、火かき棒、ティーポット、口のかけたマグカップ数個、琥珀色の液体が入った瓶を出したあの瞬間。焦げ目のついたやわらかいソーセージを焼き始めたあの瞬間、私は思ったのでした。「絶対私、この話を好きになる」。私はすっかり夢中になったのです。
 そういえば、ワールドトリガーをおすすめされるときも言われたな、「とりあえず四巻まで読んでみろ」。依田・クソガキ・単純・よたこにとってはこの言葉が大事だったわけですね。「とりあえず第四章まで読んでみろ」。
 第四章から第五章、六章とつづく展開もとにかく私を魅了したのでした。第五章のダイアゴン横丁をめぐるどうしようもないワクワク感については、私でなくとも多くのハリポタファンが語っているところであると思うので、これだけ。遠足やキャンプの何が楽しいかって、「遠足のしおり」が配られてそれをぱらぱらと読んでいるときですよね。必要なもちもの、小さいバッグにいれるもの、ハンカチ・ちりがみ、500円までのおやつ……(現実における準備は「あれがない」「これがない」の連続で嫌になってしまっていたことはさしひいたとしても)、持ち物の準備ほど魅力的なものはないでしょう。少なくとも作者のローリングはそうであったに違いありません。魔法学校に必要な教科書、鍋、杖、……そして忘れてはならない、魔法生物のペット(ここで我々はかけがえのない友人、しろふくろうのヘドウィグに会うのです)。アイスをなめながらダイアゴン横丁をハリーとともに回る追体験、私は小学三年生との気からずっと、毎回、何度でも読むたびにどきどきしながら読んでいます。

 思えば、ハリー・ポッターは私が初めて出会った「完結していない物語」、「追いかけることのできる物語」、つまり、「新刊」がある物語でした。もちろん、それまで本を読んでいなかったわけではなく、家や図書室の本棚にある本はいつも私を楽しませてくれましたが、しかしそのどれもに「新刊」という存在はありませんでした。南洋一郎のルパンシリーズも、ナルニア物語も、シートン動物記も、私がそのとき読み終わってしまえば「終わって」しまう物語だったのでした(と、言いつつ、南洋一郎のルパンシリーズは未だに読破していませんが)。
 ところがハリー・ポッターは違いました。ヴォルデモートの謎も、なぜハリーが助かったのかも、スネイプ先生のいけすかなさも、ダンブルドア校長のどことない胡散臭さも一巻では解決せずに、「新刊」というかたちでどんどんと物語は進んでいきます。私が成長するごとに、ハリーも成長していきます。ハリーがシリウス・ブラックに出会うのと同じように、私は中学校に進学してさまざまな体験をしました。ハリーがチョウ・チャンに恋をしたとき、私はいわゆる好きな人が友人と重なった時期でした。自分の境遇と重ねるのは小学三年生のころと変わりませんね。「リア充死ね」という感情を最初に創作上の人物に抱いたのはハリーくんに対してです。
 もちろん、ハリーに対して全面的な好意をいつも抱いていたわけではありません。わたしが中学生のころは、ハリー・ポッターは「映画化されて大ヒットしている児童文学」「聖書の次に読まれているベストセラー」、「ファンタジーといえばハリー・ポッター」、「ハリー・ポッターを基準にして本が宣伝されている」とさわがれている時期です。そのころから、私は急速にハリポタに対する興味を失っていきました。『クレストマンシーシリーズ(ダイアナ・ウィン・ジョーンズ)』『ネシャン・サーガ(ラルフ・イーザウ)』『黄金の羅針盤(フィリップ・ホフマン)』『バーティミアス(ジョナサン・ストラウド)』『アバラッド(クライヴ・バーカー)』などの海外ファンタジーや、もちろん上橋菜穂子荻原規子たつみや章などの国内ファンタジーに目が向いていたせいもあります。まあ、言うなれば中二病をわずらいつつもミーハーだったんですね。そうやってあまり手をつけられない中で、どんどんと私の中でハリーポッターは「ただの惰性で読んでいる本」「べつにこれだけがおもしろいわけじゃない」という位置づけになっていたのでした。
 ただ、第三巻で出会ったリーマス・ルーピン先生に対しては、ずっと夢小説で読んでラブラブしてたりしてたんですけどね。

(あと今書いていてふと気がついたんですが『アバラッド』の新刊はいつ出るんですか!?!? さすがに私の英語力だと原書購入は無理にもほどがあるんですが!?!?)

アバラット (ヴィレッジブックス)

アバラット (ヴィレッジブックス)

 

 

 

 でも、そうやって「惰性」と言い切ってみたり、「こんなもの」とエセ批評家になったりしてみたりしたことは、誰しもが通る道だと今ならわかります。そしてこの経験が不必要だと私は思いません。ハリー・ポッターに対する「エンタメだからよく読まない」「冗長すぎる」という批判、私もわかりますもん。むっとはしますけど。だって、あのころの私も思ったから。
 そうやって人は、蜜月期や倦怠期を乗り越えてホモ・サピエンスは成長していくんですものね。
 あえて改行しましたが言わなくてよかった感じが満載ですね。

 第五巻・第六巻にいたっては、もはや流し読みをして横文字の名前を「誰だコイツ」と思いながら読んでいる状態でした。物語がどんどんときな臭くなってくる頃です。今から読むと、ローリング自身が世界情勢や歴史と絡めている(ヴォルデモートをヒトラーと見立てたというエピソードは有名ですね)からこそのきな臭さなのですが、次々と主要人物が死んでいくことともつながり、そのころの私は「もう七巻は読まないかもしれない」という気すらしていました。そんな私でした。
 しかし私は、それでも最終巻を読んだのでした。
 ハリー・ポッター最終巻『ハリー・ポッターと死の秘宝』の原語版である『Harry Potter and the Deathly Hallows』が刊行された2007年のことです。偶然にも、ちょうどそのときイギリスに短期留学をしていたのです。イギリスの出版事情は日本と違い、新刊であっても容赦なくスーパーなどで値下げされて売られています。留学生の私にも気軽にハードカバーとして買える値段でした。最初は何の気なしに「英語の勉強にでもなればいいな」と思っていました。ちなみに非ネイティブにとってのローリングのハリー・ポッターにおける英文は、たとえば同じイギリス児童文学作家のジョーンズと比べると格段にわかりやすいのでおすすめです(私は未だに同時期に買ったジョーンズの『the game』が読めていません)。

 実際、最初は「おお、読める、読めるぞ……」とムスカのような気持ちでしか読んでいませんでした。それでも読み進めて行くにつれ、もちろん私の英語力ですので虫食いの斜め読み状態であったとしても、最後の章を読み終わったそのとき、なぜだかホームステイ先の居間でぼろぼろと泣き出したのを覚えています。

 

 最初に読んだとき、日本版ですら2歳ほど年上だったハリーは、最終巻として読んだときは17歳として私と同じ年齢であの世界を生き延びていました。
 今からとてつもなく当たり前のことを言います。私なんかより、ハリーはずっとつらい思いやしんどい体験をしています。私には赤ん坊のときに両親を魔法で殺され、自分も死にかかった経験なんてありません。親戚にいじめられたことも、もちろん魔法学校に行こうとしてキングスクロス駅に行ったことも、フクロウを持ったことも、魔法薬をつくったことも、死刑囚のおじさんと会ったことも、校内対抗戦をしたと思っていたらサイアクの魔法使いがよみがえってきたんだ…なんてことも、ハリーが体験してきた冒険は何一つ体験したことはありません。
 でも、物語として私はずっとハリーと一緒に冒険してきたのです。ハリーと一緒に死にかけ、ハリーと一緒に嘆き、ハリーと一緒に憤り、ハリーと一緒に世界を生きてきたのです。
 ヴォルデモートとの決戦にむけた怒濤の展開のなか、私は改めて「ハリポタ好きだなあ」と思っていました。もしかしたら、私が少し成長したせいなのかもしれません。ハリーやロン、ハーマイオニーがもがきながらも必死に戦うのを読みながら、私も自然と入り込んでいきました。たぶん、外国に留学してなかなか馴染めなかった自分も戦っているような境遇においていたのかもしれません。同じ17歳として、ハリーとともに冒険できたことは私にとっての何よりの経験でした。
 物語の最後、ハリーはこうして結末を迎えます。「もう、傷が痛むことはなかった」。それを読んだとき、私はぽっかりと胸のどこかが空いたような気持ちになりました。ハリーの傷が痛むことはないということは、ハリーの物語はそこで終わったということです。私の冒険も、同時に終わったと言うことなのでした。約10年間の冒険が、そこで終わったのです。
 泣いていた私を、ホストマザーが心配そうに見たあと、「日本人は精神が弱いのね」と放った言葉が今でも忘れられません。日本人がヤワじゃないんだ。私の精神がゴミクズなんだ。ごめんねママ。ちなみに今でもその言葉を英語にできる自信がないので、英語力がそこそこあってタイムスリップができるお方、私へのご指導お待ちしております。時間は2007年11月頃、場所はバーミンガムの片田舎の町です。くわしいことはメールをください。迅速な返信をこころがけますので、よろしくお願いします。

 

 でも、今思うのは、ハリー・ポッターシリーズが終わったからといって、ハリー・ポッターが「終わる」わけではないということなんですよね。
 読書のいいところは「読み直す」ことができることです。改めて「読み直す」ハリポタは、どきどきわくわくだけではない新しい考え方をくれてとても楽しいです。さきにも述べたローリングの考える世界情勢との関係もそうですね。 ちなみに今読むと、ジェンダー警察の私がめちゃくちゃ騒ぎ出すのも楽しいです。臆面もなくネタバレをするとなると、ハリー・ポッターシリーズで「善」とされる女性像がほぼ専業主婦なのもおもしろいですよね。モリーおばさんがヴェラトリックスを倒すシーン、私あれハリポタ戦闘シーンのなかでベスト3に入り込むほど好きなんですけど、「子持ちの専業主婦」が「キャリア持ち子なし女性」を殺すシーンと考えると、ローリングが「母の愛は何にも勝つ」と言っていたことと併せてみるとちょっとぞっとしちゃいますよね。しませんか。私結構したんですけど。
 たぶん私は、これからもこうやってあれこれ考えながら、深読みしながらハリー・ポッターと付き合っていくのだと思います。私の考え方や好み、人生の中に、ハリー・ポッターがいることは間違いありません。「大人」になった私ですが、ハリー・ポッターはまだまだ私の中で生き続けます。今まで読んできた本と同じようで違う存在、それが私にとってのハリー・ポッターです。

 夜中にちまちまと書いていたら、内容のわりには冗長な長さになって私もびっくりです。何か結局「ハリーポッターが好きなの!」「私は自分語りが好きなの!」と言いたいだけですね、と言われたらちょっとあいまいに笑ってごまかすしかないですね。まあ、好きな本語りなんてだいたいが自分語りになることは当社調べでわかっているのでこのまま気分よく自分語りを続けていきます。

 

 最後に謝ります。ハリー・ポッターは好きですが、映画最後まで観てないです。USJにも行ってないです。ウィンガーディアムレヴィオーサ。ごめんなさい。いつか観ます。行くかどうかはちょっとわかんないです。

 あと、本当はこれ、「#私を構成する9冊」とかおしゃれに書こうとしたんですけど、最初にハリポタをあげてこの長さだったのでちょっとさすがにやめておきました。私を構成する9冊もそのうちやりたいな~。